ToAのMaRyGoTo

ToAのMaRuGoTo

思いついたときに、ゲームの話とかアニメとか映画とかについて書いています。

MENU

『君たちはどう生きるか』を読んで、考えたことをつらつらと書いてみた。

f:id:gUNICORN:20180123184310j:plain

フリー写真素材ぱくたそ

 

 

「僕たちは自分で自分を決定できる力を持っている」と、ドイツの文豪であり哲学者でもあったゲーテは言いました。

また彼は、自身が描いた戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』にて「誰をも支配せず、誰にも服従せず、何者かでいられるような人間こそ、本当に幸福で偉大なのだ」と説いてもいます。

ですが、ゲーテのいう「自分で自分を決定できる力」を持つ人は、一体どれくらいいるでしょうか?

 

こんばんは、ToAです。

今日は、弟が買ってきた『君たちはどう生きるか』を読んで感じたことを書こうかなあと思っています。

久しぶりに読書感想文を書くぞ。どきどき。

 

 

 

 

原作は昭和12年に書かれたー簡単な時代背景

 

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 

君たちはどう生きるか』 は昨年7月に発売されると、瞬く間にベストセラーとなりました。

81年も前に吉野源三郎さんが書かれた名著を、新しく漫画版にしたものです。

 

 

 

81年前は昭和12年

北京郊外の盧溝橋で日中両軍が激突した盧溝橋事件が起き、一旦は停戦協定を結ぶものの全面戦争へと突入した年です。

国外では、スペイン北部の古都ゲルニカがドイツ空軍によって爆撃を受けた、いわゆる『ゲルニカ爆撃』が起きていました。

また、イタリアが第2次イタリア=エチオピア戦争を起こし、国際連盟から経済制裁を通告されましたがそれを不服とし、国際連盟を脱退した年でもありました。

国内政治では、この年の1年前に軍部大臣現役武官制が復活して以来、軍は自分たちの権益にそぐわない内閣の組閣阻止、または内閣総辞職に追い込むようになりました。

また、この年には軍が大本営設置。

統帥権の独立を盾にして、首相の大本営入りを拒否してしまいました。

これにより、本来であれば国の舵取りをする役目を持つはずの首相であるにもかかわらず、戦争指導ができないーつまりは国の行く末を導くことができない、という異常事態に陥ります。

まさに軍が政治の決定権を握るようになり始めた時代、そんな暗雲立ち込める時代に書かれた本なのです。

 

 

『かんがえる』ということの大事さ

 

これらの時代背景を踏まえた上で本書を読むと、登場人物のコペルくんやおじさんの言葉により重みを感じます。

中学2年生、思春期真っ盛りのコペルくんは、自分とはどういう存在であるか、友情とは何か、働くとは何かという人生哲学を、元編集者であるおじさんとの対話や友達とのやりとりの中で学んでいきます。

 

人間とは、自分とはどういう存在なのか。

古来からたくさんの哲学者が悩み続けてきた問いです。

人間とは、人間らしさを持つ人のことをいうのだと私は思っていて、その人間らしさを保つためには教育を受けることーつまり、道徳を学ぶことが必要不可欠です。

道徳がなければ、たちまち人間は動物的な本能のままに生き始めるでしょう。

規律を守ることなく、自身の欲求のままに立ち振る舞い、他者との心のふれあいに意義を感じなくなり、そして思うがままに、自己を顧みることなく容易に他者を傷つけます。

 

フランスの哲学者であるサルトルは、「自分がすることを、全員がしたらと問え」と言いました。

私達が人間らしさを保とうとするとき、常に「かんがえる」はずです。

コペルくんとおじさんのやりとりは、人間らしさのために「かんがえる」ことの大事さを教えてくれます。

 

人間らしくあれ、だが立派になろうとするな

 

 『世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。』

おじさんがコペルくんと出会った時から書き続けているノート。

このノートにおじさんが書いた言葉の中で、私の心に一番響いたものがこの言葉でした。

 

『りっぱな人』とはなんでしょうか?

会社の社長さんでしょうか。たくさん善行を行っている人でしょうか。

誰からも尊敬されるような、素晴らしい人格の持ち主でしょうか。

確かに今、私が考え付いた人々は、なるほど『りっぱな人』といわれる人かもしれません。

けれども『りっぱな人』『尊敬される人』を目指すあまり、自分自身の「本当の気持ち」や「本当にやりたいこと」を見失ってしまっては本末転倒です。

もちろん、『りっぱな人』を目指すことは何も悪いことではありません。

 

 

 

自分の頭で考える、自分の心で感じる

 

他者に自分自身の評価を委ねず、自分自身の手で自分のことを決める。

簡単なようですごく難しいことだと思います。

他者に物事の決定権を委ねるのはとても楽です。

責任を取らなくていいし、考えなくていいし、思考停止してても勝手に物事は動いてくれます。すごく楽。快適。

 

ですが、それを続けていると自分自身の成長は止まったままですし、自分自身の体験に基づいた経験の蓄積ができないので、「中身空っぽな人間」のできあがり!ということになりかねません。

何も難しいことを考える必要はないと思います。

例えば、好きな音楽を聴いていてどう思ったのか。

好きなテレビドラマやアニメを見ていてどう思ったのか。

家族や友達と話していて、どんな時に楽しいと感じたのか。

 

それらを丁寧に拾い上げていくと、「自分」という人間が少しずつ見えてくると思うし、それらが自分自身の学びにつながると思います。